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【ネタバレ有】感想『ブラック・ウィドウ』:アメコミ映画としては食傷気味ながらも、ありがとうナターシャ

アベンジャーズの紅一点要素、ブラック・ウィドウ(ナターシャ・ロマノフ)。
ロシア出身の女スパイ。コスチュームはボンテージ衣装。演じているのは、あの、スカーレット・ヨハンソン


……それだけで「うわぁ、えっちなことして活躍しまくる、大人の女性なのかなぁ??(わくわく)」みたいに、勝手な期待を持ってしまう。だが、そんな期待を、アベンジャーズ本編に引き続き、本作は華麗にぶち破った。序盤から景気よくカーアクション。女性同士の戦いでも容赦なく互いを攻撃しあう。後の世代から、「女性を主人公にしたスーパーヒーローアクション映画」枠として、参考、引用される1作だったと思う。

「ブラック・ウィドウ」というヒーローネームは、実はナターシャだけに与えられたヒーローネームではなく、彼女の出自であるロシアの(?)秘密スパイ機関「レッドルーム」に所属する、世界中から攫われ、洗脳手術を受けて改造された、少女スパイ全員に与えられる名前だったことが、本作で明かされる。


ナターシャは、もともとはどこかの家で生まれた子どもだが、小さい頃にレッドルームへ売り飛ばされ、以降はスパイマシーン(誤解を恐れずに言えば暗殺マシーン)へと改造される。ただ、たった3年間だけ、アメリカへ潜入するミッションの際に、偽装家族として組まされた偽物の父親・偽物の母親・偽物の妹との生活が、彼女にとっては「幸せな家族」の記憶だった。
21年後、組織から抜け、アベンジャーズの一員として活躍するようになった彼女のもとに、偽物の妹からのメッセージが届く……というところから、物語は始まる。

 

まず、あの「ブラックウィドウ」の過去譚として、男女の間の恋愛要素を、文字通り髪の毛1ミリもつけなかったことが、英断に思った(DC映画になるが、同じく女性スーパーヒーローの先例『ワンダーウーマン』の過去が、がっつり男女の恋愛に絡む話だったとしていたことからしても英断と思う。ただしワンダーウーマンの恋愛話は、あれはあれで胸を打って、好きだった)。これは、小さい頃に理不尽に家族を奪われたナターシャが、「本当の」家族を見つけるまでの話だ。

 

これまでアベンジャーズの面々が、必要以上にお互いの絆??みたいなものを訴える作風が若干苦手だったが(どちらかというとプロフェッショナル集団に近いイメージだった)、家族に飢えたナターシャが、アベンジャーズを疑似家族とみていた理由も、何となく氷解した。

それでも、一部ブラックウィドウファンは、『エンドゲーム』終盤でブラックウィドウホークアイを庇い死ぬ決断をしたのか、説明にならないということで、本作に苦言を呈している。それもそう思う。 

思うに、ブラックウィドウ=ナターシャは、自分が女性か男性かという性別に関係なく、小さい頃から過酷な環境に育ち、苦労をしてきたため、基本的なところでどこか人に優しい。それも、自分と同じような立場ということで、痛みを理解できる人に対してはとても優しい(たとえばレッドルームで洗脳されたウィドウ兵隊の女性たちとか、色々ワケありを経てアベンジャーズに居場所を見つけたホークアイとか)。

妹が嫌いなわけではない。むしろ、自分と同じようにレッドルームにさらわれた少女の一人で、自分よりも年下で、何が本当で何が偽物かわからないような年齢にアメリカ潜入に参加され、偽物家族を本物だと信じてやまず過ごした彼女を、愛しているのは事実である。だが、問題は、妹を演じるのがフローレンス・ピューだということだ(※すみません、この妹さんが、今回の新キャラなのですがとても魅力的で、強くて頑張る女性なのです。誰だマーベルにフローレンス・ピューをキャスティングした人、すごい……!)。この妹(フローレンス・ピュー)なら、たぶん大丈夫。私がここで死んでも、彼女は絶対に幸せになる。……みたいな感じで、妹を壮絶に信頼したからこそ、『エンドゲーム』にて、ナターシャはホークアイの事情を優先し、死んだのではないかと思った。

 

ちなみに本作最後、マーベル映画お決まりの「エンドクレジット後のお楽しみ」は、フローレンス・ピューがナターシャの墓を前に「こいつのせいでお姉さんが死んだのよ」と、ホークアイの写真を見せられている場面だった。
で、ディズニー+に加入すると見られる、アベンジャーズスピンオフのドラマに、絡むとか絡まないだとか……。
「フローレンス・ピューにたじたじに追い詰められるホークアイは楽しそうだけど、そこまでは観なくていいかな」と、思った(ごめんなさい)。

 

以上、なんだかんだ文句を言ってしまったが、序盤の幼少シーンはじめ、マーベル(ディズニー)にしては結構、攻めていた。特に序盤の人身売買要素のブラックさとか。 ブラックウィドウは、ラスボスの部屋で「世界中の少女が攫われて改造されました」的な映像を見せつけられるのだが、その裏にはきっと、製作にも関わったスカーレット・ヨハンソン自身のこれまでの様々な思いと、思いを作品へと昇華させてきた熱量に、アメコミ映画としては正直食傷感だったがスカーレット・ヨハンソン(およびブラックウィドウ)への「お疲れ様でした」という気持ちがあり、評価が難しい映画に思った。

 

また、恐らくは新しいキャラクターを迎えフレッシュな誕生譚になるだろうが、まったく想像つかないクロエ・ジャオ監督の『エターナル』が楽しみだし、総合的にMCU作品のレベルや志の高さに、改めて頭が下がりました(エンドロール時に登場する人数の多さを観ただけで、よくこれだけ多くの人を集め、1つの作品を作り上げれるか……と、統率力とかにもびっくりしてしまう)。

 

おつかれナターシャ、おやすみなさい。

 

 

※以上、saebouさんの感想から、大いにインスパイアされました。